私は、のんほいパークの動物たちとは、比較的良い関係を保っていると思っています。というか、飼育員のみんなとは違うので、どちらかといえば動物とお客との関係に近いんですね、ただ一頭を除いては。
そのただ一頭とは、オスゾウのダーナ、例えば、あるうららかな日の午後、私がゾウの放飼場の周囲50m付近に足を踏み入れたとします。すると、ダーナはまず、私が来たのを認識し、次の行動に入ります。ゆったりと放飼場内で円を描くように移動しながら、なにげなく、水飲み場の水を鼻に吸い込むと、これもなにげなく、私の方に向かって接近してきます。別に興味なさそうに、視線や鼻をあらぬ方向に向けながら様子を伺います。そして、私が打ち合わせなどで、放飼場に背を向けた瞬間、彼の鼻は大きく後ろに振りかぶられ、次には鼻水交じりの水の塊が、私に向かって発射されています。
私が動物園に来た当時はそんなことはありませんでした。たまに、挑発する悪ガキを水浸しにしたとか、たまに来て、セグウェイに乗って園内を巡視する仲良しの某副市長(当時)にシャワーのような鼻水を振りまいたとか、どちらかといえば「ダーナよくやったなあ」とほめてあげたいくらいでしたが、ある日を境に、間違いなくターゲットになってしまった私、実はなんとなく思いあたる節はあるのです。私がこの動物園に赴任して間もなく、ゴールデンウイークが終わった頃、獣医たちから、メスゾウのアーシャーのことで、びっくりする報告がありました、「アーシャーが妊娠しています」本来ならたいへんな快挙で、やったーというところですが、残念ながら私の思いは複雑でした。実はアーシャーは子育てができませんでした。それどころか、子供を拒否さえしていました。そのために、人工飼育された長女のマーラは運動不足と栄養過多で1年余りで骨折し、既に寝たきりとなっていました。アジアゾウの妊娠出産は非常に難しく、国内での成功例は数えるほどしかありません。そういった意味では、妊娠・出産が可能なダーナとアーシャーのペアは非常に貴重で、担当者たちが繁殖を進めようとしたのも当時は仕方がなかったかなと思います。でも、マーラという現実を目の前にして、アーシャーを妊娠させることは、あまりにも安易に思えました。しかし、そんなことをいつまでも責めている余裕はありませんでした。なによりも早急に次の手を考えなければなりませんでした。
本園でも出産はできるでしょう。しかし、子供を育てる代理母がどうしても必要でした。人間の手でなく、ゾウの手で育てること、母親が育児を拒否しても、代理母でなら健康に育つことができる。それは海外では普通のことで、また、国内でも一例だけうまくいった例がありました。ここはどうしても代理母となれるメスゾウがいる園館に出産をお願いするしかありませんでした。生まれ来る命を助けるために、小さな命を一人ぼっちにさせないために。
出産を託す候補は2園、一つはアーシャーの所有園である上野動物園、メスゾウが4頭飼育されており、代理母にはことかきません。もう一つの候補は千葉の市原ぞうの国、神戸の王子動物園のズゼ(アーシャーと同じように子育てができませんでした)を出産させて、生まれた子を同じ頃に出産したプーリーにつけて、2頭とも育てることに成功していました。結果的には実績のある市原の小百合園長に頭を下げに行き、なんとか預かってもらえることになりました。タイミングの良いことに、市原にはアーシャーの出産予定日の2か月前に出産が見込まれているメスゾウがいました。代理母になってもらうだけでなく、うまくすれば、アーシャーに出産を見せて、母性に目覚めさせることができるかもしれませんでした。アーシャーとダーナは本当に仲の良い夫婦でした。秋になってアーシャーを輸送する日が近づいていました。訓練では輸送箱にすんなり入ってくれていたのですが、輸送日当日、アーシャーは箱に入ることを嫌がって、ものすごい抵抗を示しました。ゾウ舎の奥ではダーナが壁を蹴って、大きくうなっていました。
この仲のいい二人は、引き裂かれるのがわかっていたのでしょうか。市原のゾウ使いが数人がかりで、アーシャーを輸送箱に押し込みます。足に巻かれた鎖を引きちぎって、放飼場の向こうまで逃げていったアーシャー、やがて、少しずつ、本当に少しずつ、輸送箱の中へ導かれ、3時間あまりの格闘の末、輸送箱の扉が閉じられました。輸送箱を乗せたトレーラーが園内を出発して、やれやれと思い、ゾウ舎のバックヤードの裏を歩いていると、何か強い視線を感じました。振り返ると獣舎の柵の向こうから、ダーナがじっと私を見つめていました。その眼はどこまでも深く、そして、いつまでも私を見つめているようでした。
ゾウはとても賢い動物です。私が彼の妻のアーシャーの移動に深くかかわっていたことを、ダーナはきっと知っていたのでしょう。そして、これは私の思い込みかもしれませんが、それ以来、ダーナは私に冷たくなってしまったような気がします。
市原ぞうの国に行ったアーシャーは、無事向こうのゾウ達の仲間入りができ、本園で食べたことのない竹の食事にも慣れ、無事に出産の時を待っているようでした。しかし、出産予定日の3か月前の夏、思わぬことが起きました。アーシャーの前に出産する予定のアジアゾウの突然の流産、これで、代理母構想は崩れました。後はアーシャーの母性が目覚める奇跡と、大勢のゾウたちがどのくらい支えてくれるのか。祈るような日々が続きました。
11月アーシャーは男の子を生み落としました。しかし、アーシャーはやはり、今回も子育てをすることはできず、ラージャと命名された子ゾウは、多くのゾウに見守られながらも、ゾウ使いの手で育てられることになりました。そして、残念ながら1歳を過ぎた頃、この世を去っていきました。死因はウイルス感染による心不全でした。親の母乳が飲めなかったり、親と離れて強いストレスを抱えている、そんな子ゾウは十分な免疫力を獲得することが難しく、結果として、感染症などで亡くなってしまう。そんな例は海外では多く報告されていました。
アーシャーは出産して数か月後には、豊橋に戻っていました。彼女が子供の存在に過度に反応することから、子供の飼育の支障になっているという市原ぞうの国からの要請によるものでした。それはとてもとても悲しい事実でした。
やがて、ダーナとアーシャー、二人きりのゆったりした時間が戻ってきました。二人を同じ空間にすることはありませんでしたが、柵を挟んで鼻を絡めたり、においを嗅ぎあったりして、本当に心が響きあっていたようでした。
やがて、ゾウの飼育環境は大きく変わろうとしていました。大規模な放飼場の整備や獣舎の拡張工事が進み、毎朝、えさ場までドスドス走って行ける広い放飼場、まるで潜水艦のようなフォルムで、水の中をどこまでも探索できる広大な池もできました。やがて、横浜市金沢動物園からメスゾウのチャメリーもやってきて、3頭の顔は時間の経過とともに不思議と柔和な表情に変わっていきました。
人間の過度な期待から解放されて、自由に生きている彼ら、今私たちは、彼らの空間に干渉することをやめ、お互い対等な関係の中で、日々を過ごしています。二人は残念ながら群れをつくることはできませんでしたが、今とても幸せそうに見えます。
今も、私がダーナに近づくと、彼はゆっくりと近づいてきます。鼻に水を含んでいるのを、ちらつかせ、なんだか嬉しそうに近づいてきます。もしかして、私と遊びたい?
昔のことは許してくれたのかな?私の思い込みかもしれないけれど、仲直りできてよかった。
ダーナ、いつでもおいでよ、いつでも水ぐらいかぶってやるよ、なあ、ダーナ
種は大きく違っても
理解しあう二人
ひびきあうもの
つながっていくもの
そして それは
お互いを ひとつの命として
尊ぶまなざし